「アッシュ・・・!!!」

血相を変えたルークがバタバタと部屋に駆け込んできたのをメイドの一人がお静かに、と小さく言うが、ルークはそれを無視してベッドの傍に立ち呆然と見下ろした。
青白い顔して瞼を固く閉ざした半身の姿。赤い髪の色に混じって頭部に巻かれた白い包帯の色が見える。
部屋に控えていたガイがルークに近寄ると、ルークはすとんと膝を折ってアッシュの頬へ指を滑らせながらポツリと

「アッシュは、大丈夫なのか」

「・・・命に別状はない。ただ、頭の打ち所が悪くて意識が回復するまでは注意が必要らしい」

俺が付いていながら、すまないルーク。
ガイは最後にそう付け足して項垂れた。ルークは振り仰いで俯くガイの顔を下から見上げながらくしゃりと顔を歪めた。

「馬鹿だなガイ。別にお前が謝ることじゃねーだろ?アッシュは・・・大丈夫だよ」

ルークがそう言うと、ガイもまた顔を歪めて自身の視界に映りこむ赤毛にもう一度すまないと謝った。

訊くと、訓練中に暴発した譜術で崩れた建物の瓦礫から兵士を庇ったためにアッシュが怪我をしたらしい。
根が優しいアッシュだからこそ、まあやりそうなことだとは思うが形振り構わず無鉄砲に突っ込んでいく辺りはやはり同位体ならではなのだろうか。

ルークは月が浮かぶ夜になってもアッシュの眠るベッドの傍から離れずに、彼が赤色の睫の下から深いみどりいろの双眸を覘かせることをひたすら待ち続けていた。
昏々と、まるで死んだように眠るアッシュの横顔に、ルークは三年前の光景を思い出してくっと喉を鳴らし、唇を噛み締めた。
何本もの剣に身体を貫かれて息絶えたアッシュ。
受け止めたその身体の冷たさに息を呑んだあのとき。

二度と同じ思いはしたくない。

「アッシュ・・・はやく起きてくれよ」

静寂の中に落とされた呟きは短いけれど、切実な想いが強くつよく込められていた。



翌朝、うとうととそのままベッドに突っ伏して寝てしまっていたルークがふと重い瞼を持ち上げてみると、丁度視界に飛び込んできたアッシュの指先が小さくピクリと動いた。一気に眠気が吹っ飛んだルークは勢い込んでアッシュの名を叫ぶ。
ややあってアッシュの睫が僅かに震えて、翠玉があらわれた。
ぼんやりと焦点が定まらない瞳が中空を漂い、そしてルークに据えられる。ひたりと向けられた視線にルークの胸中へ再び嫌な予感が湧き上がってくる。
なぜか疑問の色を浮かべているアッシュの双眸にルークは胸がざわついた。

「・・・ア、ッシュ・・・?」

ぎこちなくルークが言うと、アッシュの唇がゆっくりと開かれた。

「誰だ、お前は」

放たれた言葉は今のルークを絶望に叩き落すには十分な一言だった。

アッシュが医師に診てもらっている間、ルークは中庭のベンチに座っていた。
綺麗に澄んだ青空が頭上に広がっている。それが無性に腹立たしく思えたルークは思い切り空を睨みつけてやった。
自分の心中はどんより曇った天気のような感じなのに、それを馬鹿にしているみたいに晴れやがって。ぶちぶちと文句を言いながら、ルーク自身それが完全なる八つ当たりだという自覚はしていた。しかも相手が八つ当たりをしてもどうにもならない空だということも。
だけれど、そうでもしていないと自分が何をしだすかわからなかったのだ。
本当なら今すぐ部屋に飛び込んで行ってアッシュの口から「冗談だ屑が」という言葉を聞かせて欲しかった。
しかし目覚めたときのアッシュの瞳からは到底ひとをからかっているような色は窺えなかった。

これは現実で。アッシュは記憶喪失になった。
記憶喪失が一時的なものなのか、それを現在医師が診ているのだ。

『誰だ、お前は』

アッシュの唇から紡がれた一言は常日頃に「屑、劣化レプリカ」と罵られていたよりも何倍ものダメージをルークに与えた。
その反面、冷静な部分が「きっとナタリアとガイも俺が<ルーク>として屋敷に来たときはこんな気持ちだったのかもしれない」と考えていた。

ベンチの上に足を乗せて膝を抱え込んで小さくなっていたルークの元へガイがやって来て、眉尻を下げたいつもの困ったような笑みを浮かべた。

「ルーク、アッシュの記憶喪失は一時的なものだとさ。・・・ただ、いつ戻るかまではハッキリしないらしいが」

「そっか」

「・・・反応薄いなあ」

「・・・・・・ガイも、<ルーク>が記憶喪失だって訊いた時はこんな気持ちだったのか?」

「・・・」

唐突に訊ねられたガイは一瞬視線を漂わせ、頭に手をやってそうだなあと答えた。

「俺もわりとアッシュの傍に居たから、少なからずショックは受けたな」

そうガイが言い終えると同時にアッシュの部屋から医師たちが出てきた。医師の後から出てきたメイドの一人がルークの元へ来ると、アッシュ様へ面会されますか?と問うてくる。ルークはそれに対して無言で首を横に振った。メイドは答えを受けて一礼するとその場を立ち去った。
ガイはルークの頭にポンと手を置いて

「本当に良いのか?」

「いい。今アッシュに会うの、すげー怖いから。いい」

「そうか」

記憶、早く戻ると良いな。何気なく呟かれた台詞にルークは小さくちいさく頷いた。



*   



部屋にひとりきりとなったアッシュは窓際に立って金髪の青年と一緒に居る赤毛をじっと見ていた。
自分とそっくりな顔立ちをした赤毛の少年。
一般的な知識こそ覚えてはいるものの、今までの過ごしてきた思い出という記憶が一切消えてしまっていた。
家族のことも、自分が生まれてから何をしてきたのかも。全てが消えていた。
そんな自分を、受け入れられなくて。記憶が、一時的にでも無くなってしまった己を認められなくて、彼は自分を遠巻きにしているのだろうか。
そんなことを考えて、アッシュは無意識にきゅっと拳を握り締めた。





記憶が無くても、アッシュはアッシュであって。
そのアッシュを否定してしまったら、ルークは自分の存在も否定してしまうのではないかと思った。
なぜなら。記憶喪失になる前の<ルーク様>を追い求めていたかつての屋敷の人間たちと同じになってしまうし、その時に自分が感じていた嫌な想いをアッシュにして欲しくなかったのだ。
そう考えているからこそ、ふとした拍子に、記憶の無いアッシュを傷つけるようなことをいってしまいそうで。それが怖くて。ルークはアッシュの傍に行くことを躊躇っていた。
だけど、それでは駄目だと思う。
思うから、自分から手を伸ばそう。

ルークは顔を上げて、立ち上がる。そうして、行くのかと問うてきたガイに軽く頷いて。そっかと笑うガイから離れて窓辺に佇んでいるアッシュのもとに歩いていく。



大丈夫。

俺は<アッシュ>を否定なんかしない。
たとえ、千の夜が過ぎてもアッシュの記憶が戻らなかったとしても。
アッシュはアッシュなのだから。

だから、さあ。

その手を握り締めにいこう。




















やっと後編終了です!
自分の中でも前編を書いてからだいぶブランクがあったので
ちょっと消化不良気味な終わり方ですが。
五万打ありがとうございましたー!

2008.07.20