青空と焼け空の間





仕事帰りの街灯が薄暗く照らす夜道を歩いていた時だった。
十字路の角を曲がった瞬間、どんと下半身へ衝撃が襲い掛かり、次いで「あイテっ」という声が同時に聞こえ、クラトスは鳶色の目を眇めて見下ろした。

「いってー、なんなんだよいきなり」

「・・・・・・お前は」

普段感情を面に出さないクラトスの顔に僅かに驚いた表情が浮かぶ。
地面にペタリと座り込んだままの小さなこども。くりくりした大きな茶の瞳がクラトスを映し出し、不思議そうに小首を傾げた。その動作と共に瞳と同じ色の髪がゆらりと揺れ動く。そして髪の合間から見え隠れするピンと立った三角耳。さらに今気が付いたが、尻尾もあるようだ。
しかしそれらの何よりもクラトスが驚いたのは

「ロイド・・・?」

今目の前にいるこどもが己の息子と瓜二つであったことだった。



「あ、父さんおかえり」

「・・・ただいま」

「ん?なんかいつもと様子違うけど、何かあっ―――誰、それ」

玄関まで出迎えに現れたロイドはクラトスが抱えているこどもを見て目を丸くし、ポカンとする。
クラトスは靴を脱ぎ、空いている手で息子の頭を撫でながら言った。

「偶然拾った。暫く家に置くが、良いだろう?」

「拾ったって・・・、マジで?」

隠し子じゃなく?そんな意味合いが込められていそうなロイドの問いにクラトスは微苦笑する。
大人しくしていたこどもを床に降ろし、小さな手を掴んでリビングへ誘う。途中、ちょっとだけ眉間にしわを刻んだロイドへ振り向いて手招く。ロイドは一瞬物言いたそうに口を開いたが「私の息子はお前一人だ」「・・・っ」先手を取るようにクラトスが言うので、声帯は音を発さず唇は引き結ばれた。



「それで、名前はあるのか?」

「ない」

ロイドの問いに、こどもはきっぱりと首を横に振った。クラトスはロイドとこどものやりとりを眺め、楽しそうに目を細めていた。こどもの答えにロイドはむぅと腕を組んでひとしきり呻ると、急にこどもの三角耳を両手でひょいと摘む。それからぐぐっと顔を近づけてこどもを至近距離から見つめること三十秒。

「よし!決めた、お前はロイだ!」

「ロイ?なんで?」

「俺に似てるから」

真顔でそう言い切る息子の姿に、クラトスは何とはなしに視線を天井へ向けた。





日付が変わり、太陽が地平線から顔を覗かせる。

ルカはぴくんと白い三角耳を動かすと、起き上がるなりくぁと大きな欠伸をする。ぼんやりとした表情で長く伸ばされた自分の朱髪を手櫛で梳きながら、暫くぼけっとしている。すると脇から毛先を軽く引っ張られていることに気が付き、緩慢な動作で首を横にめぐらせた。そこには何故か仏頂面のカイが。

「あれ?なんでカイがここにいるんだよ」

「ここはアッシュの部屋だ。だからオレがいる」

「へ?アッシュの・・・?じゃあどうしてオレがここにいるんだ?」

「お前がっ、眠れないからってここにきたんだろうが!」

「・・・・・・・あぁ、そういやそうだったかも」

牙を剥いて怒鳴るカイに、ルカはポンと手を打って頷く。のんびりした調子のルカに、カイは苛立ちを増幅させて怒鳴るも、カイの怒声を綺麗にスルーしたルカは、ベッドから飛び降りてドアの取っ手に手をかける。そこでふとルカは肩越しにカイの方へ振り返ると

「きょうはアッシュが外であそんでくれるって」

満面の笑顔を浮かべて言うなり部屋を出て行った。残されたカイは耳をペタリと伏せ、ぐったりとベッドの上に突っ伏し、その後アッシュが呼びに来るまで動かなかった。


ルークが最後にリビングへ現れ、食事が始まる。相変わらず慣れない手つきでフォークを不器用に持ち、ルカはご飯を口へ運ぶ。その時に零れる米粒を拾うのはアッシュ。もふもふと白米だけを頬張って幸せそうに笑うルカは、見ていて癒される。そんなことを思いながら拾った米は口へ。まるで親子のようなやりとりが今ではすっかり定着してきている。一方のカイはフォークの上に乗せたスクランブルエッグを落とさずに口へ入れていた。同じように教えているはずなのに、この差は性格の違いからなのだろうか。

「アッシュぅー、コーヒーちょうだい。ミルクたっぷりで」

ルークがマグカップを差し出してきながら言う。眠気覚ましに欲しいのだろう。翡翠の双眸は半分ほど瞼に隠され、口は絶えず欠伸を漏らしている。アッシュはため息を吐いてマグカップを受け取り立ち上がる。すると隣にいたルカがアッシュを呼び止めた。

「こーひーってなんだ?」

好奇心に目を輝かすこどもに、アッシュは少し困ったように眉根を寄せた。
純粋に興味があって訊ねているのだろうが、返答によっては間違いなく「オレものむ!」とか言い出しそうだ。苦いから止めておけと言っても無駄だろうか。いやどちらにせよ、興味を逸らすことは出来ないな。アッシュは瞬時に判断すると、待ってろ今淹れてくると言ってキッチンへ回る。その間、カイは黙々と食事を続けていたが、黒の三角耳はしっかりアッシュとルカの会話を捉えていた。
淹れ立てのコーヒーを両手にアッシュが椅子に座り、一つをルカへ、もう一つをルークへ渡した。ルークはお礼もそこそこにコーヒーを啜る。うん、美味しい。ルークが喉へコーヒーを流し込んでアッシュへ言う。ルカは美味しいと訊いてさらに顔を輝かせ、両手で包み込むようにマグカップを持つ。恐る恐る傾けて少しだけ唇にコーヒーが触れた瞬間

「にぎゃあっ?!」

「ミルクたっぷりなのに苦かったのか?」

「・・・いや、猫舌だったんだろう」

「あ、そういやルカって猫だもんな」

放り出されそうになったマグカップを上から素早くルカの手から抜き取ったアッシュは、洗面台へ駆け出そうとしていたルカの襟首を掴んで引き止め、水の入ったグラスを差し出す。ルカは大きな瞳を潤ませ水をガブガブ飲み干す。カフェイン効果のお蔭か、ルークは幾分かすっきりした表情になり、今にも泣き出しそうなルカとそれを宥めているアッシュをカイが呆然と見ていた。フォークの動きが止まったカイに、ルークはにやりと笑うと己のマグカップを差して訊ねた。

「お前も飲んでみるか?」

「いらない」

湯気立つマグカップに、カイは間髪入れず即答した。





「おれは猫だ」

「猫?あぁ、言われてみれば、猫耳と尻尾がついてるな」

ロイと名づけられたこどもが言うと、ロイドはパタリパタリ床を打つ尻尾に手を伸ばす。髪色と同じ茶のふさふさした毛並みに、掌からほんのり伝わってくる体温。作り物ではなく本物。偽者ではないことはわかった。だが、ロイドは首を傾げてロイをまじまじと見つめた。

「なんで猫が人間の姿をしてるんだよ」

純粋な疑問をロイドは口にした。するとロイは大きな瞳を一瞬翳らせた後、伏せてしまった。え、マズイこと訊いたか俺っ。こどもを目の前にロイドは咄嗟に傍観に撤していた父親に助けを求め、視線を投げる。しかしクラトスは飄々とした顔で視線を逸らす。自分でどうにかしろ、ということだろう。意地悪だな!ロイドは胸中で父に向かって悪態を吐き、父親に向かってあっかんべーをした時だった。ロイがポツリと呟いた。

「・・・・・・やっぱりきもちわるいか?」

「え?」

「このすがたを見たほかのヤツが『きもちわるい』っていったんだ」

睫の下から覗く茶の双眸が哀しげに揺らめいていた。ロイドは一瞬だけ絶句し、泣きそうな顔をしたロイを力いっぱい抱きしめた。包み込んだ身体は、温かい室内にいるというのに冷たかった。そして小刻みに振るえていた。ロイドは抱きしめる腕に力を込め、ロイの耳元で囁いた。

「大丈夫。お前はこれっぽっちも気持ち悪くなんかない。それに」

望んでその姿になったわけじゃないんだろ?
ロイドがそう訊ねると、ロイは小さく頷いた。ほらな、ロイドは笑ってこどもの髪を撫でる。

「お前のことは俺が守ってやるよ」

だから、ここで暮らせば良い。

クラトスは口元に微かな笑みを浮かべ、椅子から立ち上がる。
リビングにはこどもの泣き声が響いていた。



こどもの頬伝うのは、哀しみの涙ではなく、安堵の涙だった。





お馴染みとなっていたキャップではなく、今日はつばの大きい麦藁帽子を被り、元気良くマンションを飛び出す。
向かう先は数日前に遊びに行った公園。
そこでカイとルカは一人の少年に出逢った。名前をロイというらしい。
そのロイに友達宣言をされ、また遊ぼうと約束を取り付けられたのだが、いつ遊ぶかは決めていなかった。だから公園に行ってロイを見つけられたら一緒に遊ぼう。そうルカと話して浮き足立ったまま公園に辿り着いた。
まずはロイの姿を探す。ぐるりと公園の中を見渡したが、ロイらしき少年は見当たらない。
少しだけ気持ちが沈み、項垂れるカイを見たアッシュが軽く背中を叩いて促す。

「友達がいなくてもルカとは遊べるだろう」

「うん」

「カイ、遊ぼうぜっ」

ルカはカイの手を引いて走り出す。引き摺られるように走り出したカイもその内に笑顔になる。はしゃぐこどもたちを微笑ましく眺めていたアッシュの脇を、茶髪の少年が通り過ぎた。少年は腕にこどもを抱えていた。それだけならアッシュは気にも留めなかっただろう。しかし少年とこどもの会話が自然と耳に入り、アッシュはちらりと少年を見た。

「カイとルカいるかなー」

「友達だっけ?」

「あぁ」

「いるといいなあ」

カイとルカ。確かにこどもはそう言った。それはアイツ等のことで間違いないだろう。と、すると・・・。

「ロイ・・・?」

思わず口をついて出てしまった。そのアッシュの呟きを拾ったロイがアッシュを振り返る。

「何でおれの名前しってるんだ・・・って、カイとおなじかおだ」

「じゃあカイの兄さんか?」

同じく振り返ったロイドに、アッシュは唖然とする。同じ顔をした人間。しかし明らかに歳が離れている。
双子というのはまず有り得ないだろう。
まさかとは思うが、そんな事が果たしてありえるのか。アッシュは驚きで思考回路が鈍ったまま、答えた。

「俺は、カイの兄じゃない」

「あっ、じゃあおれとロイドといっしょのかんけいか」

ロイは言うと、頭に載せていた帽子を取った。現れた三角耳にアッシュは絶句する。

「おれは猫なんだ。カイとルカもそうだよな」

にこにこ笑いながらいうロイに、ロイドは「えっ、猫って・・・、他にも同じようなやつがいるのか?」「うん、いた」「へぇ〜・・・すげぇな!」目を丸くする。そこへ、嬉しそうなルカの声が飛んできた。

「ロイー!あーそぼーうーぜ〜っ!!」

「ルカ、カイ!あそぶあそぶっ!!」

遠方で手を振っている赤毛のこどもたちに気が付いたロイが手を振り返し、ロイドの腕からぴょんと飛び降りてそちらへ駆け出す。
二人きりになったアッシュとロイドの間に、妙な沈黙が流れる。ロイドは少しだけ視線を彷徨わせた後

「・・・あー、ベンチ座って話そうぜ?」

「・・・・・・そうだな」

未だショックから立ち直れていないアッシュはぎこちなく頷いた。
恐らくルークがこの場にいたら、珍しいアッシュが見れたと騒いでいただろう。
アッシュの眉間のしわは驚きのあまりに消えてしまっていたのだ。



訊くところによるとロイはロイドの父親が数日前に拾って帰ってきたらしい。そうなるとアッシュとルークが二人のこどもを拾ったのよりも大分後になる。ロイもカイとルカのように逃げ出してきたのだろうか。そのあたりの事情をロイから聞いたのかと問えばロイドは聞いてないと即答した。

「事情も聞かないでこどもを拾ったままにしているのか」

「別に問題ないだろ」

「仮にロイに親がいたら、問題が無いわけじゃなくなるだろうが」

「あ」

いわれてみればそうだ、とロイドが手を叩く。アッシュは呆れて空を振り仰いだ。



「じゃあお前はあの二人の事情を訊いたのか?」

「訊いた」

アッシュはルカとカイのことを掻い摘んで説明した。ロイドは話が後半になるにつれて表情を険しくしていった。
話しが終わり、ロイドはつぃとはしゃいで遊んでいるさんにんのこどもへ視線を向けた。
そしてポツリと

「なんかそれ許せねぇよな」

「・・・・・・」

「うん、やっぱ許せない」

「だとしたら、どうするつもりだ」

「ロイを守る。俺が守ってやる!」

ロイは言っていた。

気持ち悪いか、と。そう訊ねてきた。哀しそうに目を伏せて。

そのロイを見てロイドはこのこどもが望んで今の姿になったのではないとわかった。
それを知ったときロイドが抱いた感情は紛れもない怒りだった。ロイをこんな目に遭わせたヤツを許せないと思ったのだ。
猫だからって人間の好きなように扱って良いと思っているやつらが許せなかった。

「見つけたらぶっ飛ばしてやる」

「・・・」

物騒な言葉を吐いてロイドはひょいとベンチから立ち上がり伸びをする。アッシュは弟と同じ言葉を紡いだロイドに微かな笑みを浮かべた。





「―――・・・ロイは良い人間に拾われたな」



















<青い空の下>の番外編<晴れ渡った空の下で>の少し後のお話。

2008.07.25 拍手より再UP