<さぁ、冒険だっ!>





「セミとりに行こうっ、アッシュ!」

左手に虫取り網、肩からは虫籠をさげて頭にはつばの広い麦藁帽子を被ったルークが元気よくいった。
読んでいた本から顔を上げたアッシュは、既に行く気満々で準備が整っているその姿に顔をしかめる。

「・・・どうせ嫌だといったところで、無駄なんだろ」

「うん!」

「はぁ、・・・どこに行くつもりなんだ」

「裏山あたりにでも行こうぜ!きっとカブトムシとかもとれるかも!」

「カブトムシなんかそう簡単にとれるわけないだろ」

「えええ、行ってみなきゃわかんねーよっ!」

「あぁ、わかったから騒ぐなうるさい」

大声を上げるルークに、アッシュは若干辟易した表情をしながら、自分も外に出る準備をする。
真夏の昼間は帽子を必ずかぶりなさいという母の言いつけ通り帽子をかぶって。水筒にお茶を入れて飲み物の準備もしっかりする。そうして出掛ける準備が出来たところでルークが待ってましたとばかりに腕を振り上げて叫んだ。

「それじゃあ、しゅっぱーつ!」



*     *     *



靴裏で枯れた落ち葉や木の枝をパキパキ踏み鳴らしながら、ふたりはどんどん山奥へと進んでいた。
ルークの腰辺りにある虫籠の中では不規則に揺れる為か、捕まえられたセミがバタバタしながらジジジジジと悲鳴のような鳴き声を上げている。カブトムシカブトムシと呪文のようにぶつぶつ繰り返しながらルークは木を見上げて獲物を探していた。その後姿を追いかけながら、アッシュは顎を伝う汗を拭った。じりじりと肌を焼くような暑さにだいぶ体力を消耗していた。体力には自信があるほうなのに、どうもルークと一緒にいると自分は実は体力が無い方なのではないだろうかと考えてしまうことがあった。
歩きづらい足場と傾斜にアッシュはずんずん進んでいくルークにとうとうストップをかけた。前方でこちらを振り返ったルークが体力ねーなアッシュ!と叫んでいるのが気に障ったが、ここで怒鳴って無駄な体力を消費するのは避けたい。アッシュは怒鳴り返したい衝動をぐっと堪えてルークの発言を聞き流す。傾斜にあわせて身体を反転させ、その場に腰を下ろして持ってきていた水筒のお茶を飲んで一息つく。魔法瓶のおかげで時間が経過していても冷えていたお茶に、体内に篭っていた熱が僅かだがさがるのを感じる。もう一杯飲もうとお茶を注いだところで、ずざざざと何かが滑り落ちてくる音がしてアッシュはぎょっとして振り返った。

「お、俺にもお茶ちょうだい!」

滑り落ちてきていたのはルークだった。アッシュに激突する寸前に急ブレーキをかけて両手をずいと突き出し、お茶ちょうだいと強請ってくる。アッシュはため息をついて注いだお茶をルークに差し出すと、ルークは嬉しそうに笑ってそれを受け取った。こくこく、と一気にお茶を飲み干したルークは満足そうな顔で礼をいってカップをアッシュに返す。

「よしっ!じゃあ行くぞっ!探すぜ、ヘラクレス!!!」

「・・・そんなのが裏山にいるわけねえだろうが」

ヘラクレスー、と斜面を登りだしたルークの後ろをついていきながら、アッシュはぼそりとツッコミを入れた。



「ヘラクレスいなくても、せめてカブトムシとかクワガタムシはいてもイイと思うんだけどさ」

「そもそもの目的はセミを捕まえることだっただろ」

「セミとカブトムシだよー」

「・・・・・・」

ぷぅと頬を膨らませて主張する朱髪にアッシュは黙り込む。だよーじゃない、だよーじゃあ。そんな台詞がアッシュの頭の中でぐるぐると回っていたが、不意にルークの声音が変わって「あ」というなにか不安を感じさせるような声を上げた。

「雨ふりそうだな」

木々の合間から覗く黒灰色の雲を指差してルークがいう。アッシュも同じように雲を見上げて、不味いなと呟いた。後ろを振り返れば、下方には小さく豆粒程度に見える家の屋根たち。前を見れば、ゴールの見えない迷路のような木々の生い茂った斜面が続くばかり。すぐにでも泣き出しそうな雲に、ふたりは雨宿りする場所を探したがそんなものがあるわけもなく。ふたりして途方に暮れて顔を見合わせていると。

ポツリ、と。

とうとう雨が降り出してしまった。

ポツリ、ポツリ・・・ポツポツポツポツ・・・ザアアアアァァァァ―――

雨は容赦なく降り注ぎ、雨を避ける術の無いこどもの全身を瞬く間にずぶ濡れにしてしまう。ルークはうわあと悲鳴を上げて頭の上で両手を傘のようにしてみたが、たいした効果もない。アッシュは当の昔に濡れてしまうことを防ぐのは諦めていた。しかしこのままでは風邪を引いてしまう。それはいただけない。アッシュはとにかく少しでも雨をしのげる場所を探すために歩き出す。滑りやすくなった斜面に踏ん張るように足に力を込めて登っていく。

「え、なんで上に行くんだよっ!街に戻ろうぜー!」

「この雨で地面が滑りやすくなってる。斜面を下っている時に足を滑らせてみろ。下手したら死ぬかもしれないぞ」

アッシュの指摘に、ルークはポカンとしてからあぁ、なるほどと手を打った。それを見たアッシュはこそりとため息を零し、単純なヤツだなと呟いた。雨足が酷くなる中、ようやくアッシュとルークは雨宿りが出来そうな場所を見つけた。古い大木の幹の根元付近にぽかりと大きくあいた空洞だった。そこに逃げ込んだふたりは、同時に大きく息を吐き出してしゃがみ込んだ。全身びしょ濡れで、特にアッシュは髪が長いからルークよりも被害がその分大きかった。舌打ちしながら、髪を一纏めにして軽く搾る。ぽたぽたぽたと滴り落ちる水滴をなんとはなしに眺めていたルークがアッシュに近付くなり、髪の毛を軽く引っ張った。なんだ、とアッシュが無言で問えばルークはじぃっとアッシュの髪を見つめたまま

「俺も髪伸ばそうかな・・・」

なにを思ったのか、そんなことをいいだした。アッシュはルークのヒヨコ頭を見て、それからルークと目を合わせ、首をゆっくり横に振った。

「やめとけ。お前はその髪型が一番だ」

「え、そうか?」

「あぁ」

「じゃあ、やめとく」

あっさり前言撤回するルークに、自分で止めておきながらアッシュは彼の単純さに呆れて言葉が出ない。
そんなアッシュの思惑なぞ知りもしない朱毛は洞から顔を出して雨止んだなーと歓声を上げている。通り雨だったらしく、すぐにあがった雨にホッとしつつ、アッシュは洞から出て空を見上げた。垂れ込めていた雲はすっかり遠くの空に行ってしまっていて、今では真っ青な空が広がっている。先に洞から出ていたルークがごく自然に手を差し伸べてきた。思わずポカンとしてルークの手を眺めていたアッシュに、ルークが痺れを切らしたように強引に右手を取った。

「次はカエルとりに行こうぜっ!」

繋がれた手に視線を注いでいたアッシュは小さく笑って顔を上げた。

「まだなにか捕まえる気なのか」

そしてルークの発言に対するツッコミも忘れない。





冒険はまだまだ、これから!