時々見るそれは、自分が忘れてはいけない戒めともなる幼い頃の夢だった。
姉であるマリィベルの手が自分へと差し伸ばされる。
しかしその手は自分の手を掴む事は無く、空を掴み、そして地へと落ちた。
己の身体を鎧に身を包んだ者たちから隠すように。
姉の身体が覆い被さって来るのと同時に、意識を手放してしまった。
嗅ぎなれない匂いが鼻を突く。
うっすらと瞼を持ち上げても、視界に入るのは暗い世界だった。
夜なのだろうか・・・。
そう考えたが、直ぐに重圧感を感じて身動きが取り難いことに気がついた。
動きにくい中で首を廻らすと、直ぐ真横にメイドの顔があった。
安堵の息を吐き、声を掛けようとしてもう一度彼女の顔を見た瞬間、ヒッと引き攣った声を上げてしまった。
メイドの顔は血に濡れて見開かれた瞳は輝きを失っていた。
恐怖心から、メイドの死体から遠ざかろうとしても未だに圧し掛かってくる重みに手足が動かせない。
ボロボロ頬を伝う涙を拭う事も忘れて、大好きな姉の名を叫び続けた。
しかし返ってくるのは、耳に痛いほどの沈黙だけだった。
それからどれくらいの時間が流れたのだろう。
極力メイドを視界に入れないようにして、只管に姉が助けに来てくれることを祈っていた。
と、何かを退かす物音が聞こえて来た。
ギュッと己の手を握り締め、徐々に近付いてくる物音に耳を澄ます。
そして自分の傍からメイドの死体が退かされ、光が差し込んできた。
その眩しさに眼を細め、小さく姉を呼んだ。
だがそれに応えたのは姉ではなく、ペールだった。
彼もまた死体と同じ様に血に濡れていた。
荒く息を吐きながら、幼い少年の無事な姿を見て、疲れた色を
見せていた顔に微かに笑みを浮かべた。
「さぁ、この場から早く逃げましょう」
手を掴まれ、走り出す。もつれそうになる足を必死に動かしながら、自分が居た場所を肩越しに振り返った。
無数に積まれたメイドの身体。
そして死体の山からずり落ちたのか、金髪のひどく見慣れた姿があった。
驚いて引き返そうとしたが存外に強い力で引っ張られてそれは叶わなかった。
再び溢れ出す涙を空いている手で拭い去って、そして唐突に理解した。
メイドの身体が折り重なって出来ている死体の山。
自分は今まであの中に埋もれていたのだ。
頬を拭った手を見れば、涙の雫と、紅い色の液体が付着していた。
涙は自分の流したもの。でもこの赤は―――
「・・・・・・っ!!・・・、ぃやっ・・・!あね、うえ・・・!!!」
女性の死体に埋もれていたという記憶がトラウマとなり、そしてその忌まわしい記憶を何時の間にか
心の置く深くに閉じ込めていた。
そうして憎み、復讐すべき相手であるファブレ公爵家へ使用人として使えだし
真っ白な幼児と出逢い、自分はある賭けをした。
幼児は成長し、時間は掛かったが、自分の賭けに見事勝ってくれた。
綺麗で何処までも透明な笑顔を浮かべる赤毛の青年に、自分は惹かれていた。
後悔はしていない。
これで良いのだと自分は自信を持って言える。
解ってはいたのだ。心の何処かで。
厳しくも優しかった姉が、自分が復讐に手を染める事を望んではいないだろうと言う事を。
それでも。大事な家族を一瞬で奪われた憎しみはそう消せやしない。
味あわせたかった。自分と同じ眼に遭わせたかった。
だけど。
復讐に駆られた自分の心を動かしたのは、憎い仇である男の息子だった。
時々、暇を見つけては訪れるタタル渓谷。
見晴らしの良いセレニアの花舞う丘に立つ。ずっと奥には崩壊したエルドラントの残骸が見える。
エルドラント崩壊後から二年の月日が流れた。
未だファブレ公爵の子息である赤毛の青年は姿を見せない。
ふと頭上を振り仰ぐ。
見上げた空は何処までも蒼く、広がっていた。
広大に、無限にとも取れるその空に、一羽の白い鳥が飛んでいた。
まるで待ち侘びている赤毛の青年のようだと思った。
赤毛の青年は自分が生まれた事を悔いながらも、生きる事を喜ぶ姿は、空を自由に羽ばたく鳥のようだった。
飛ぶことを知らずに育った鳥は、突然籠の外へ羽ばたき方も知らない世界に放り出された。
それでも徐々に羽ばたき方を覚え、遂には空を飛ぶまでに成長した。
自由を掴み取り、外を知って彼は無邪気に笑うのだ。
『過去に何時までも縛られててもしょうがない』
すぅと息を吸い込んで、残骸を残すばかりになった栄光の大地へ叫んだ。
「早く帰って来い―――ルーク!」
お前のお陰で俺は<復讐>と言う束縛から逃れることを知ったのだ。
正面から吹いてくる風を浴びながら、瞼を閉ざす。
閉ざした瞼の裏側に浮かんだのは、淡い微笑を浮かべる姉の姿だった。
幸せにね。―――――ガイラルディア。
−−−−−−−−−−−−
月見草(ツキミソウ) 意味:自由な心