<forget-me-not―終わりの物語から始まる最初の物語―>
レプリカの街から戻ってきた、魂の抜けた様なルークにシュザンヌは驚き、また息子の仲間達の様子にも違和感
を抱いた。
何より、自分の『息子』が一人姿を見せていない事が酷く不安だった。
震える唇で、アッシュはどうしたのだと訊ねれば、マルクト軍に所属している男が徐に口を開いた。
アッシュは街の住人に殺されました。
抑揚の無い声でしかしはっきりと告げられた。
最初は信じられなかった。
折角2年振りに生還した我が子をこの腕で抱き締められたのがつい先日の事だったというのに。
だが実際に赤毛は一人しか居らず、ただ事ではない事態が起きたのは帰ってきた者達の様子を見れば明白だ
った。シュザンヌは口元を覆い、緩く首を振る。
そしてその場に糸が切れた人形のように、崩れ落ちてしまった。
「ストレートに言いすぎじゃないか?」
ショックの余りに気を失ってしまったシュザンヌの介抱に追われているのか、バタバタ慌しく駆けていくメイドが目
の前を横切る。次いでメイドの後を追うように、湧いて現れたような長身の気配。壁に凭れ掛かった姿勢のまま、
ガイは顔を伏せたまま傍に立つジェイドに言う。ジェイドは眼鏡を掛け直しながら、僅かに肩を竦めた。
「変に言い回すよりも楽かと思いましたので」
婦人が病弱なのを知っているだろうとガイが言えば、ジェイドはそう言えばそうでしたねぇなどと解っていた筈なく
せに惚けたことをぬかす。挙句に
「嫌な役回りを進んで引き受けたのだから、別に良いでしょう」
何処までも声音を変えずに告げる死霊使いにガイはもう何も返す気力が無くなった。
数日後、アッシュの葬儀が行われた。
ルークとアッシュの帰還は未だに公にはされていなかったので、アッシュの葬儀は密やかにファブレ公爵で仲間
と屋敷の者によって。
ナタリアは葬儀中こそ毅然な態度を保ってはいたが、誰も居ない廊下の隅で一人嗚咽を漏らさまいと唇を噛み締
めて泣いている姿を後で見た。アニスはその場で声も無く只涙を流していた。その隣でティアも堪えるように俯い
ていた。何処までも無表情を貫き、感情を面に出さないジェイドも、この時は紅の瞳が僅かな悲しみに揺らいでい
るようだった。仲間の一人ひとりの様子を何処か冷静に見渡し、最後にガイは死した被験者を目の前にしている
その半身を見た。
ルークの瞳は何処までも曇りがかっていて、不気味なくらい表情も消え去ったままにアッシュの横顔にじっと視線
を注いでいた。赤毛で隠されて見え難くなっていた翡翠の瞳は、横顔を映している様で、だが実際にはそれを『ア
ッシュ』と認識していなかったなどと、端から見ていたガイが知る由も無かった。
そして、死を告げる鐘が寂しく屋敷の中に響き渡った。
それから一週間。
公爵家の廊下を金髪の青年が歩いていく。
すれ違うメイドが小さく会釈をしてきたのを、片手を軽く上げながら笑顔を添えて挨拶を返す。
別に会釈など必要ないのに。
歩きながら誰にも聞こえない程度に独りごちる。
ルークの様子が心配だったので、ピオニー陛下から許可を貰い再び住み込みでファブレ家に仕えだしたガイは、
ルークの部屋に向かいながら思いを馳せる。
アッシュの死からルークは生きる気力を失ったもぬけの殻の人形のようになってしまった。
魂を抜き取られて心の無くなった人間のようだ。
そう例えていたのはアニスだったか。
あながち間違った喩えではないなと自分もそう思う。
透き通っていた翡翠色が光を失い、今では濁ってしまって以前の透明さが見出せない。毎日毎日部屋の中で何
をする訳でもなく、ベッドの上でぼんやりと窓の外を見ているばかり。乱れた長い髪を梳かすことも無く、ましてや
自らが動こうともしない。ガイが食事を運びに行っても何かを話しかけても一切の反応が無い。そればかりかル
ークはたいして食事にも手をつけずにいた。
しかし、ふとルークの口元が思い出したように小さく小さく動く。
乾いた唇から紡ぎだされた音を聞いたガイは、微かに眉根を寄せた。
ガイはルークの様子を常に気にかけていたが、メイドたちも同じく心配なのか、唯一ルークの部屋を出入りしてい
るガイへ様子を訊ねて来る。ガイはその度に曖昧な笑みを浮かべる事しか出来なかった。
口に出すのも躊躇われるほど、ルークの状態は酷かった。
万が一自分がルークの状態を話し、それがメイドの口から伝染し、婦人の耳に届こうものなら婦人はショックの
余りに死んでしまうかもしれない。
ふぅと一つ息を吐き、ガイは中庭へ出るべく扉に手を掛けた。
その先に何が起こるか何て、知りもせず。
ベッドの上でただ、ぼぅっと外を見ている。
焦点が定まっていない視線で何を映し出しているのかは解らない。
ただじっと蒼を目に映し、時々ふと唇が動く。
あっしゅ
静寂に包まれた中で零れ落ちる音はそれのみ。何度も何度も、名が呟かれる。
そして不意に顔を歪ませて嗚咽を噛み殺しながら啜り泣く。
それの繰り返し。
ガイが食事を運んできてくれたり、出来る範囲で身体を綺麗にしてくれたり話しかけてくれたりしいていた。
ぼんやりとした意識の中で朧気になら思い出せる。
膝を抱えてそこに顔を埋めていると、突然頭の中でキイィィィンと独特な音が響いてきた。
驚いて顔を上げると、目の前には何時の間にか金色の光が漂っていた。
「ロー・・・レラ・・イ」
呆然とその名を口にすると、光が一瞬だけ輝きを増した。
『ルーク・・・。アッシュを取り戻したいか』
遠くの方から響いてくるように耳の届くローレライの声。
「え・・・」
『アッシュを再び連れて帰ってこれるとしたら、如何する』
突然の問いにルークは困惑したが、反射的に即答した。
「なんでもする」
ぐっと身を乗り出してルークはローレライへと詰め寄った。
「なぁ、アッシュを生き返らせることが出来るのか?どうしたらできるんだ?俺、なんでもするから!!」
『落ち着け、ルーク。お前がそう言うことは解っていた。・・・方法を教えよう』
「本当か?!」
『あぁ。・・・但し』
「但し?」
『ルーク。お前には過去に戻ってもらう事になる。それでも良いか』
過去に・・・。ルークはアクゼリュスでの過ちを思い出し、ぐっと唇を噛み締めるが、ローレライを見据えながら力
強く首を縦に振った。
そこで漸く、ルークの瞳にまた光が戻り始めた。以前の透き通った翠の奥で、揺らめく決意の焔が燃える。
ローレライが微かに笑った気配がした。
『では直ぐに過去へ向かうか』
「行く!アッシュがいるんだろ?」
『居るには居るが、記憶をなくしている状態だ』
「・・・え?」
『流石に二度も我の同位体といえど再構築させるのには無理がある。・・・我の力が及ばずに、アッシュは再び再
構築した反動で過去へ飛ばされ、記憶がなくなっている。だが、お前がレムの塔にて瘴気を中和させるまでにア
ッシュの記憶を呼び戻す事が出来れば、再びアッシュは『今のお前』が知る『アッシュ』になろう』
「・・・解った」
『では、・・・行くか』
言葉と同時にローレライが居た場所にぽっかりと穴が開いた。
先の見えない真っ黒な口を開けている穴をルークは暫し見つめ、ぐっと拳を握り締めた。
その時
「ルーク、入るぞ」
ドアノブが回され、金髪の青年が入ってきた。ルークが視線を向けると、ガイが入り口のところでポカンとして立ち
尽くしていた。金色の光と部屋に現れている穴に驚いたのか固まって動かない。そんなガイの様子にルークは久
しぶりにほんの少しだが笑った。
「ガイ。俺、アッシュを連れて必ず戻ってくる。皆にそう言っておいてくれるか?」
「・・・は?な・・・何、言ってんだルーク意味解らないぞ」
止まった思考が完全に回復していないのか、ガイが慌ててこちらにわたわたと近付いてくる。ルークの腕を掴ん
で何なんだとガイが当惑しきった顔で訊ねてきたが、ルークは強引ではない程度に彼の手を振りほどき、穴へと
踏み出した。
ガイに背を向ける形で一旦立ち止まり、それから首だけで振り向いて満面の笑みで告げた。
「絶対戻ってくるから。信じててな!」
ルークはそれだけ言うと二度は振り返らずに穴の奥へとどんどん進んで行く。
吸い込まれるようにしてルークの姿が穴と共に消え、金色の光も同時に消えた。部屋に残されたのはガイ一人と
なった。
ただただ唖然とする事しかできなくて、ガイはその場に暫く突っ立っていた。それでも何とか立ち直り、主の居なく
なった部屋から出る。
ルークの部屋から出て、中庭の中央に立ち果てしなく何処までも広がる大空を見上げた。
そこでガイの口元が綻んだ。
全く好き放題に振り回してくれるな。きっかけはティアが現れて突然目の前で消えて外の世界に触れて。大きな
過ちを犯し、悔いても悔いても悔やみきれない思いで、胸を詰まらせて夜な夜な泣き崩れていた幼子。己の真意
を告げても、自分を信じてくれと頼んできた幼馴染でもあり、大切な存在でもある赤毛の青年。
絶対戻ってくると言った赤毛の言葉を信じて、俺は待とう。
一先ず旦那にでも報告するか、ガイが視線を元に戻してぼやくその頭上を、二羽の鳥が飛び去っていった。
一度閉じられた物語が再び紡ぎだされる。
願うは愛しい半身の還り。
それだけを願い今一度劣化品は過去へと遡る。
忘れないよ。貴方との約束を。真実の愛を。
想いを胸に一筋の光を目指してルークは歩く。
幸せの再来を、ただ願いながら。
『勿忘草』完結!
ここまで読んでくださって有り難う御座いました!!
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