<鋼ワールドinアシュルク〜アッシュSideその1〜>
何も物音がしない広い空間のある中に、人が倒れていた。
夜目にもはっきりと映る鮮やかな紅く長い髪。意識が無いのか、倒れたまま動く気配が無い。
ぽたっ・・・ぽたり
頬に冷たい雫が滴り落ちてくる。雫が瞼に落ちて、赤い睫が微かに震えた。だらりと投げ出されていた指先がピク
リと動く。
「・・・っ」
小さく呻いて、赤髪の持ち主はゆっくりと身を起こした。そして見慣れない建物の造りなどに呆然とする。つい先
程までいた場所とは全然違うことに戸惑いを隠せない。もう少し詳しく建物を調べたいが、廃棄された場所なのか
長い間使われていなかったようで明かりも無い。ただ窓から入る月明かりだけがぼんやりと足下を照らし出してく
れていた。一先ず自分が今どのような状況に置かれているのかを分析しようと思考を廻らそうとした時
―カツンカツン
足音が聞こえてきた。素早く立ち上がって油断無く剣の柄に手を置いて身構える。
「あら・・・、見慣れない坊やね」
漆黒の緩くウェーブのかかった髪を片手ではらいながら、女性が月明かりの下に照らし出された。
胸元に見慣れない模様が刻まれている。
正体の掴めない相手に柄に手を掛けたまま青年は女性を睨んだ。
「貴様・・・何者だ」
「それはこちらの台詞よ。坊や、貴方は何処から入って来たの?」
「知るか」
逆に問い返されて舌打ちをする。
女性が現れた方に出口があるのか。そう考えてさっさと歩き出す。
もうどうでもいいと言わんばかりに青年が女性の横を通り過ぎようとした時、何か鋭利な物が横合いから飛び出し
てきた。済んでの所でそれを交わし、女性との距離を開ける。女性が少しだけ目を見開いた。
避けられた事に驚いたようだった。
青年は翡翠色の双眸で鋭く女性を見据えて、低く言った。
「・・・何だ」
「御免なさいね。よく解っていないかもしれないけど、坊やにここを見られた以上生かしては置けないの」
言いながら女性は、すっと顔の前に手を持ち上げる。その指先は鋭く尖っていた。
先程の攻撃はこれだったのか。
冷静に分析をしながら、自分もまた剣を鞘から抜いて、正眼に構える。
「悪いが、大人しく死ぬ気はない」
青年の返答に、女性の赤い唇が妖艶に弧を描いた。
「それは残念だわ・・・」
***************
くそっ、一体何がどうなってやがる!
暗く長く続く回廊を走り抜けながらアッシュは舌打ちをする。速度を緩めないで一瞬後ろを振り返る。先程の女が
追いかけてくる気配は無い。だが油断は出来ない。額を流れる汗を無造作に拭いながら、アッシュは剣を目前へ
翳した。刀身にはべっとりと血が付着していた。それを確認した後に、血を振り払い鞘に戻す。
確かに逃げる時に、女の身体をこの剣で貫いた。
溢れ出る血と、貫いた瞬間の感覚をはっきりと憶えている。あれは致死量であった事には間違いない筈だ。
なのに、何故
「動けるんだ・・・」
アッシュは前方に見えた人影にはっとして、急ブレーキをかける。再び剣を構えて、荒い呼吸を必死に整えて戦
闘に備える。しかし人影が動く事は無い。何故だ、そう思った時。突然横の壁が爆音と共に破壊され丸太の様に
太い腕が襲い掛かってきた。思わぬ攻撃にアッシュは避ける事も出来ずにまともに攻撃を受けて反対側の壁に
叩きつけられた。
「・・・っ、かはっ・・・」
衝撃で呼吸が詰まる。必死に剣を支えにして立ち上がると、壁に出来た穴からぬぅと丸い体系の人間が現れた。
だらしなく開いた口から、舌が覗いている。その舌を見て、アッシュは眉を顰めた。
「あの模様、女の胸にもあった・・・」
「考え事は後にした方がいいんじゃないの?ツンツン頭君」
誰何の声にアッシュは目の前の敵に居注意しつつも、回廊の先へと眼を向けた。回廊の人影は何時の間にかア
ッシュの近くまで来ていた。髪を長く伸ばし、露出の多い服を身に纏った男。油断無く剣を構えたまま、アッシュは
男を睨みつける。
「てめぇら、あの女の仲間か」
「女って・・・あぁ、ラストおばはんのコト?そうだよ。仲間」
軽い口調で話す男に、丸い体系の人間が指を咥えて空いている方の手でアッシュを指差す。
「エンヴィー、あれ食べてもイイ?」
「あぁ・・・いいよ。ここに入られた以上、生かしておくにはいかないしねぇ」
エンヴィーと呼ばれた男はくるりと踵を返して何処かへ行こうとする。そのまま行ってしまうのかと思いきや、突然
足を止めてアッシュを顧みた。
「じゃあね、ツンツン頭君」
「・・・っ!黙れ!!」
基本的に沸点の低いアッシュはエンヴィーの神経を逆なでするような発言にキレて、怒声と共にアッシュはエン
ヴィーに斬りかかって行った。しかしそれはもう一人によって遮られてしまう。あんぐりと大口を開けて立ちはだか
る男に、アッシュは素早く懐に飛び込んで容赦なく胸へと剣を突き立てた。鈍い音と共に刀身が丸い身体に飲み
込まれていく。夥しい量の血が床を赤く染める。アッシュは感慨無しに剣を引き抜き、エンヴィーをひたりと見据え
た。相手を射殺しかねない程にさっきを纏ったアッシュの視線に、エンヴィーは臆した様子もなく笑っている。
「何が可笑しい」
「いや、別に。てか、そいつ未だ死んでないよ」
「なっ・・・?!」
エンヴィーの言葉と同時に、倒れていた身体がむくりと起き上がった。唖然として言葉が出ないアッシュに、エン
ヴィーは益々笑みを深めた。
「どうせ直ぐに死ぬんだから、教えてやるよ」
傷が急速に治っていく光景を信じられない思いで見ているアッシュの鼓膜にエンヴィーの声が響く。
「俺たちはホムンクルス。創られた人間だ」
「創られた人間・・・だと」
告げられた内容を反芻して、アッシュは呆然とする。
今目の前に居るコイツ等が、創られた人間・・・?
「・・・レプリカなのか」
「レプリカぁ?違う違う、ホムンクルスだって」
アッシュの微かな呟きを拾ったエンヴィーがそう言って、姿を変えた。
バチバチ、と光が消えた後にその場に居たのは赤い髪の・・・
「なっ・・・俺・・・?!」
「どう〜?そっくりでしょ」
アッシュの姿のまま、エンヴィーは目を見開いて固まっているアッシュへ近付いて行く。
驚きが勝っていて身動きが取れないだろう。
エンヴィーはそう踏んで、余り警戒する事も無く赤毛の青年へと距離を縮めた。
その考えが甘かった。
「さぁ、そろそろ終わりにしよっか」
何もかもを写し取ったエンヴィーの手にはアッシュの物と同じ剣が握られていた。エンヴィーはそれをアッシュ目
掛けて振り下ろす。寸分違わない切っ先は、しかしアッシュが身を交わした事で赤い髪を数本斬っただけに留ま
った。意外にも避けられた事でエンヴィーの動きが一瞬止まった。
その隙を見逃さなかった。
アッシュは隙だらけになったエンヴィーの腹に蹴りを叩き込んだ。吹っ飛んだエンヴィーは近くに居た巨漢を巻き
添えにしてもんどりうつ。
「・・・っ」
アッシュは起き上がろうと?いている敵へ背を向けて、建物の壁へと手を翳した。
目を閉じて掌へ意識を集中させる。アッシュの身体が淡い金色の光に包まれ―――
そして、最大限に力を抑えて超振動を発動させた。
「あ〜ぁ。逃げられちゃった」
頭を掻きながら、エンヴィーは常にしている姿に戻った後、大きく穴の開いた壁を見た。その隣では「食べられな
かった・・・」と指を咥えてぐずついているグラトニーが座っている。そのグラトニーを一瞥して
「それにしても・・・」
エンヴィーは破壊された壁へと指を這わす。穴の開けられた壁の周囲の床には粉砕されれば必ず残るであろう、
壁が砕けた残骸が一つも落ちていなかった。まるで物体そのものを消滅させてしまったような・・・。
「錬金術とはまた違う、な」
まぁ、自分が思考を廻らせた所で解る筈もない。
エンヴィーはそう判断して、グラトニーに声を掛け、一先ず報告する為にラストの元へと向かうのにゆっくりと歩き
出した。
何とか逃げ果せたか。
人通りのある所まで走って走って、アッシュは漸く安堵の息を吐いた。
辺りはもう明るく、太陽が頭上へと昇っていた。その太陽が在る空を何気なく見上げて、あることに気が付いた。
「音譜帯が無い・・・?」
それは、オールドラントであれば、決してあり得ない事だった。
アッシュの方が結構デンジャラスな状況下に居ます。
ホムンクルスと初っ端からドンパチ繰り広げちゃってます。
でもひとまず危機は脱した・・・かな?