「カルマで10のお題」 配布元:加護の鳥様
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1、ガラス球
2、汚れた手
3、同じ鼓動
4、奪い取った場所
5、歩いた足跡
6、悲鳴の旗
7、鏡
8、約束
9、一人分の陽だまり
10、カルマ
1、ガラス球
何とも表現し難い倦怠感が全身を襲う。 ぼんやりと浮上してきた意識のまま、彼はゆるりと瞼を持ち上げた。
力の入らない緩慢な動作で、首をことりと左に倒して部屋の奥が視界に入るようにする。
灯りの無い薄暗い室
内の中、居るのは自分と、そして・・・『自分』。 冷たい無機質な壁に囲まれ、出口の無い密室の中に閉じ込めら
れた自分。 上手く動かない身体を無理矢理動かして、ゆっくりと歩いていく。
震える足で、ゆっくり一歩一歩、
『自分』へと近付いていく。 然程の距離を歩いても無いのに、随分長い距離を歩いたように身体が疲れている。
直ぐ目の前に居る『自分』は、自分が近づいてきた事に全く気がついていないのか、俯いた姿勢のまま
ピクリ
とも動かない。 そっと手を伸ばして、『自分』へと触れてみる。 ひやり、と冷たい人肌の感触が指先から伝わっ
てきた。 「複製品・・・」 ポツリと、彼の唇から声が零れた。それに呼応してか、『自分』が初めて微かではあった
が、動いた。 顔を持ち上げて、光の宿らない、しかし何処までも透き通った自分と同じ色の瞳が、彼を捉えた。
彼の燃えるように紅い髪とは違い、若干色抜けた朱の髪色の『自分』。 互いに言葉無く見つめ合う。
**********
何故、『自分』が造り出されたのか、彼は知らない。 そして、造り出された『自分』がこの先どうされていくのかも、
また知らない。 剣の師であるあの人は、彼に詳しい事は告げずに行動を開始した。
当惑している彼に師は優
しく頭を撫で、安心しなさい何も怖がる事はない。さぁ、眼を瞑って・・・。
言いながら微笑む師の様子に、彼は安
心して、信頼を置いていた師のその言葉を信じ、意識を 手放したのだった。 彼がもう一度『自分』に触れようとし
た時、背後で金属質の重いドアが開かれる音がした。 振り返れば、灯りの無い部屋に唯一光が差し込む出入
り口の光を背にした師の姿があった。 師は彼と『自分』の元まで来ると、膝を折り『自分』の顎に手を添えて顔を
覗き込んだりして 何かをじっくりと吟味しているようだった。 やがて師は満足そうに頷くと、漸く彼へと向き直った。
師は、何処か彼に不安を抱かせる笑みを顔面に張り付かせていた。 そして、惨酷な言葉を吐いた。
「お前には、これから神託の盾に所属してもらう。公爵邸には帰れないと思え」
「・・・ぇ」
眼を見開いて固まっている彼をそのままに、師は『自分』を抱きかかえると、さっさと背を
向けて歩き出す。 呆
然としていた彼は、慌てて師を追いかけ、大柄な体躯の師へと縋り付いて叫んだ。
「師匠!それは、どういう事ですか?!屋敷に・・・家に帰れないって―――」
「言葉の通りだ。屋敷には、この複製品が戻る」
「・・・っ、そんなっ! 嫌だ、屋敷へ返してください!」
彼はあらん限りに声を張り上げて師へと懇願した。 だが師は冷笑を浮かべるだけで、彼の言葉を受け流すだけ
だった。 唯一の出入り口の前まで辿り着くと、師は彼の肩を押してその場に留まる様、促す。
しかし彼は師の
手を振り払い、部屋を出て行こうとした。だがそれはあっさりと師の大きな手に
よって阻まれた。 強く掴まれた
手首から、師の手を解こうと彼は暴れたが、大人の力に子供の力が敵う筈がない。
抵抗を諦め、彼はぎゅぅと
歪めた顔で師を見上げ、喉の奥から搾り出すように声帯を振るわせた。
「師匠は、一体何を考えているのですか・・・」
大きな翡翠色の瞳に涙を一杯に浮かべ、恐怖心が溜まりつつある幼い少年の問い。
師は彼と目線を合わせ
て、片腕で彼の頭を胸へと抱き込んだ。 そっと耳元へ唇を近づけて、この幼い子供に絶大な効果を齎すであろ
う言葉を吐き出した。
「私にはお前が必要なのだよ・・・・・・」
「俺が・・・?」
「そうだ、だから 私と共に」
囁かれた言葉に、彼は虚ろな目で拒否する事も無く受け容れた。 今まで居た自分の世界から弾き出された、彼。
聖なる焔より落とされ、灰となった彼。 もう一つのガラス玉にぶつかるまで、光の当たらない影の世界を転がり
続ける。 コロコロと転がりだしたガラス玉は、割れるまで止まらない。 一つになるまで、止まらない。
彼が『自分』に憎悪を抱くのには、そう時間は掛からなかった。
2、汚れた手
空の蒼色を透かすようにして持ち上げた己の掌が、赤色に濡れている様に見えた。
**********
外の世界で、様々な体験をした。 だだっ広い草原しかない場所をひたすら歩いている時などは、当
たり前だがシャワーなんて無いし、フカフカの ベッドもありはしない。 草の生えた地面に身体を横た
わらせて眠った次の日の朝には、全身がギシギシと悲鳴を上げていて 動かすのが結構辛かった。
それでもある程度は、野宿には慣れてきてはいた。 だけど、やっぱり慣れない事が一つ、あった。
その日も、剣を手にして戦闘へと自ら参加した。 今回の敵は、魔物ではなく、盗賊。つまりは、人間。
微かに震える己の腕を叱咤しつつ、牽制の意も込めて、雄叫びを上げる。 対峙している相手へ思い
切り上段から振り下ろした一撃は、あっさりと避けられてしまった。 勢いよく空を斬ってたたらを踏み、
背を向ける格好となってしまった俺にすかさず相手が短剣を投げつけてきた。
殆ど反射的に身を捻
るようにして、飛来してきた短剣を避け、バックステップで体勢を整える。 再び対峙した相手は、観察
してみると、体格からして女のようだった。 すらりとした腕の先にある長い指にティアが使うようなナイ
フを数個構えて、女が飛び掛ってきた。 俺は、それを慌てることなく対処する事が出来た。一瞬だけ
眼を閉じ、ふっと短く息を吐き出す。 そして宙に浮いた女の下に大きく踏み込んで、そのまま師匠に
教わった技を繰り出した。
「双牙斬っ!」
下から上へと切り上げる攻撃。それは見事に女の身体にヒットした。 同時に、俺の左手が持つ剣か
らも肉を斬る感触が嫌と言うほど伝わってくる。 その感覚が気持ち悪くて、俺は知らずの内に顔を歪
めた。 血を噴出させながら、女の身体が地面へと落ちて、一度だけ跳ねた。 たった一度だけの攻撃
だったが、急所にでも当たったのだろうか、女は倒れたまま二度とは動かなかった。
剣を片手に、俺
はその場に立ち尽くす。 のろのろと左手に視線を落とすと 剣を握っていたその手が赤色に濡れてい
る様に見えた。
**********
タルタロスではじめて人を斬って、殺してから、今までどれだけの人間をこの手に掛けてきただろう。
あぁ、そして人を殺す度に、出て来るんだ。俺の夢に。殺した人間たちが。 怨み辛み事を吐きながら、
黒い世界の奥から俺を引き摺り連れて行こうとする。 紅い血に塗れた手が地を這って、俺の脚へと
絡み付いてきて、俺が立っていた地面もずぶずぶと沈んでいく。 沈んだ先では、眼を覆いたくなるよ
うな光景が広がるんだ。 実際に眼を瞑って視界を遮断しても、意味が無い。 脳裏に直接流し込まれ
るみたいにして、光景がありありと浮かび上がってくるからだ。 頭から血を流して、腹部を切られて腸
が覗いていたり、身体の一部が欠けていたり。 みんな血を流して、低い呻きを漏らしながら一斉に俺
に近付いてくる。 血を流しながら、口々に言うんだ。
「オマエニコロサレタンダ・・・」
恐怖の余りに悲鳴を上げようとしても、声が出せない。 その内、血塗れの人間の腕が俺の首元まで
伸びてきて、ギリギリと締め上げてくる。 上手く息が吸えない。その息苦しさからか、俺はハッと目が
覚めた。 びっしょりと嫌な汗をかいたインナーが、素肌にくっ付いて気持ちが悪い。
だが、それ以上
に夢見が悪くて、吐きそうだった。 整わない呼吸のまま、俺はベッドからそろりと抜け出した。
今日は
街へと辿り着いたから、宿屋で休む事ができた。 でもちっぽけな宿屋で、部屋数が少ないからガイと
ジェイドと俺で一部屋、ティアとアニスとイオンで一部屋だった。 ちらりと横二つに並んでいるベッドに
寝てる二人が起きた様子は無くて、俺はホッと息を吐く。 まだ夜明けは遠いのか、窓の外は真っ暗だ
った。インナー姿のまま、俺は裸足で宿の外へと出る。 人気が全く無い街中の花壇の生垣に腰掛け
て、俺は肺の中の酸素を全部吐き出した。 それから大きく息を吸い込んで、あの夢の事を思い出さ
ないように、思考を廻らせようとした。 だけど、思い浮かぶのは、夢で見た凄惨な光景。
でもあの光
景を作り出しているのは、間違いなく自分自身なんだ。 他の人でもない、自分自身。
だけど 俺だっ
て殺したくて殺している訳じゃない。
それは自然と口を突いて出てきた言葉。思いついた言葉が零れだしたら、後はもう止まらなかった。
そうだ。言わば、俺が殺しているのは正当防衛なんだから、仕方ないんだ。そうだそうだ。
次から次へと自分を正当化する言葉が溢れてくる。 自分に言い聞かせる事で、半ば無理矢理に精
神を落ち着かせて宿屋に戻りかけたとき ふと何気なく見下ろした地面に 死体が横たわっていた。
ヒッと引きつった声を上げて、思わず後ずさる。
何で今さっきまで無かった筈だ、どうして死体なんか・・・。
人が他に居ないかと周りを見回してから、気がついた。 今倒れていた死体。それに既視感を感じた
のだ。 恐る恐る、もう一度だけ、死体へと眼を向けた。 死体は、女だった。それも、今日、自分が草
原で殺した、女。 混乱と恐怖で何が何だか解らなくなってくる。逃げ出したくても、地面に縫い付けら
れたみたいに足が動かない。 その内、女の眼がぎょろりと動いて俺を見上げてきた。
何で死体なの
に、とか考える余裕なんて無かった。 漏れそうになる悲鳴を抑える為に、口元へ手を持って行きかけ
たとき、俺は愕然とした。 持ち上げた己の掌が、赤色に濡れている様に見えた。
結局、悪夢からは、
どうあっても逃れられないのだ。 それに気がついたときには、女が何時の間にか吐息が掛かるくらい
の所に居て、口端から血を流しながら、言った。
「人殺し」
そこで、俺の意識は完全に途絶えた。
染み込んだ赤はどうやっても、落ちず、決して消える事はない。
3、同じ鼓動
雨が降りしきる中で初めて対峙した相手は、気持ちが悪いほど自分とよく似ていた。
以前見たとき
には上げてあった前髪が今は雨に濡れそぼってだらりと顔に張り付いていた。
それを掻き揚げる事
も無く、俺と似た男は何処までも暗い光を湛えた俺と似た瞳の色で睨んできた。
知らなかった。 初
めて顔を合わせた時には、俺はアイツが『俺』に似ているのだと、ずっとそう思っていた。
でも実際に
は違ったんだ。 似ていたのは、この俺自身だった。―――いや、違う。 「似ている」じゃなくて、『俺が』
アイツだったんだ・・・。 複製品として。 俺がアイツの代わりとして、生まれた。
最初は、その筈だった。
だけど、俺は世界を旅して様々な事を知っていって、そして・・・・・・生きる事の喜びを知った。
それと一緒に、俺が俺であると言うことも。 だって、そうだろう? 俺がアイツの複製品だとしても、アイ
ツは実際に俺が生きてきて学んで知って歩いて来たことを知らない。 逆を言えば、俺はアイツの生き
て歩んできた道を知らない。
だって、それは俺じゃないから。 俺は、アイツだけど、でも。アイツじゃない。
アイツだって、俺じゃない。
元の情報は、確かにそっくりそのまま同じかもしれない。
だけど、別々の存在として、この世界へ産み落とされた時点で 俺たちは互いに『同じ存在』であって、
『違う存在』になったんだ。
**********
「でもな、アッシュ」
目の前に立つ、燃え盛る焔を宿した俺と同じ姿で違う存在の赤毛の青年へ、淡く微笑みながら言う。
思っていること、感じていること、知っていること 俺を取り囲む世界の広さや、空の蒼さ、海の蒼さ。
頬を伝って落ちていく涙、怪我をして俺の身体から流れ出る血 そして、この身体を動かす動力源。
今も動き続ける、この鼓動の音。
「これはみんな、アッシュが居たからこそ、俺が手に入れることが出来た物なんだ」
左胸へと手を当てて、そっと眼を閉じる。 視界を閉ざしてしまえば、己に与えられてくる情報は、耳
から鼓膜を震わせて届いてくる音と 左手から伝わってくる己の温もりのみ。
それと風が吹く抜けていく音、鳥のさえずり、木々のざわめき 自然の奏でる音たちが聞こえてくる。
そして何より。
トクン、トクン、トクン・・・ 左手から伝わってくる胸の鼓動、心臓が力強く動いている音。
「アッシュにも、聞こえるだろ?自分が生きている証の、音が」
歩み寄って相手の胸へ、右手を置く。 一定の間隔でリズムを刻み続ける音は、俺と同じもの。
その音に、俺は心地良さを感じて、また瞼を閉ざした。 何処までも温かな相手の体温に、俺は離れ
たくないという衝動に駆られる。 だけど何時までもくっ付いていてはきっと今にも怒り出すだろう。
俺は右手を離し、一歩距離を取った。
それから
「俺とお前が、唯一同じもの、だよな」
言いたかった言葉を、彼に告げた。
相手は常に刻まれている眉間の皺を更に深くして
「・・・今更何を言っている。馬鹿が」
何時も通りの悪態を吐いて来た。 それが余りにも何時も通りだったので、俺は思わず吹き出してし
まった。
俺が笑った事で、相手が怒って罵声を上げるのも何時もと同じ。
同じ鼓動で時を刻みながら、俺たちは別々の道標を目指して、でも行き先は同じ道を歩き続ける。
例え終わりが直ぐ傍まで来ていたとしても。
4、奪い取った場所
それは、何時もと変わらない。
何時もと何も変わり映えの無い四角い枠の中から見上げる蒼は、余り感慨深くも無く
見ている事が多
かった。 自分の部屋の窓からぼんやりと眺め、無駄に譜石が幾つ浮いているのか数えてみたりする。
しかしそれも十個と数える前には飽きてしまい、早々に部屋の奥へ引っ込んでしまう。
ベッドへぼすり
と腰を下ろし、する事も無く時間がだらだら過ぎていく。
もう少し。もう少しすればじきに剣の師であるヴァンが屋敷を訪れるだろう。
それまでの退屈しのぎに、何をして時間を潰そうか。
ヴァンが来るまでに、少なくとも一時間はある。 日常で生活するには差支えが無い程度に言葉は覚え
た。そして少し前から始められた剣の稽古。 まだまだ覚える事は沢山あるぞ。そう言っていたのは自分
と余り歳の離れていない金髪の世話役だったか。 まぁ、勉強は最初からやる気は無いし・・・。と、すれ
ばガイを引っ張って剣の稽古にでも 付き合わせようか。
・・・・・・。 よし、決定。 少し長くなってきた髪を翻して、ルークはベッドから飛び降りてドアへと向かった。
途中、棚に置いてあった木刀を二本持ち、ドアノブに手を掛けたとき、ルークが回す前に
それは勝手に
動き、ドアが開かれた。 部屋の前に立っていたのは今まさに自分が呼びに行こうとしていた人物だった。
彼は金髪を揺らして、僅かに眼を丸くしながらルークを見下ろしていた。 ルークはそんな彼の様子には
構わず、ぐいぐい手を引っ張って中庭へと出る。 手にした木刀の内の一本をガイへと渡して、自分は木
刀を構えて世話役に有無を 言わせる隙を作らなくする。 手渡された木刀を一回見て、それから少し離れ
た真正面で木刀を構えている赤毛を見やって ガイは困ったように眉根を寄せた。そのガイの表情に気が
ついたルークはむっと頬を膨らます。ガイが困った顔をした後に言う台詞は嫌と言うほど解っているからだ。
案の定、ガイが何かを言いかけたが、ルークはうぜぇの一言で彼の言葉を沈め、問答無用で飛び掛っ
て行った。 やれやれと肩を竦めているガイに、ルークは木刀を振り下ろす。しかしそれは容易く
受け止
められてしまった。 微かに舌打ちをしてルークは素早くガイとの距離を取る。だがルークが体勢を整え
る前に今度はガイから攻撃を仕掛けてきた。何時もならルークが二度三度打ち込んだ後に攻撃に転じ
てくる ガイだったので、予想だにしなかった彼の反撃にルークは内心で動揺してしまった。
ガイの流派は自分とは型が全く違う物だ。腰の脇に剣を挟むように構えて素早く相手との
間合いを詰め
寄って切り伏せるというガイの剣技に慣れていないルークは、反射的に身を引く。だが動揺していた事
もあってか、ルークは慌てて一歩引いた右足が躓いてバランスを 崩し尻餅をついてしまった。
ガードも間に合わない。ルークが反射的に眼を閉じた瞬間
「俺の勝ちだな」
頭の上からガイの声が降ってきた。そっと眼を開けると、鼻先に木刀の切っ先が突きつけられていた。
喉笛の僅か数ミリの所でピタリと止められている剣先に、ガイの技量が相当なものだと
言う事を改めて思
い知らされた気がする。本当に斬られるのかと内心で冷やりとした事は秘密だ。
太陽の光を背にしたガイ
の顔には影が落ちていて、その表情はルークには見えなかった。ルークは座り込んだまま、頭をガシガシ
乱暴に掻いてぶすっとする。 そのルークへガイは苦笑と共に手をさし伸ばす。 不貞腐れていたルークだ
ったが、伸びてきた手を素直に取って立ち上がろうとした。
身を起こしかけたルークにガイも身を屈めて彼が立ち上がるのを手伝う。
その時に半ばルークを抱き締める体勢になったガイの唇が動いた気がした。 それは訊き間違いだったのか
もしれない。或いは、空耳だったのかもしれない。
囁かれた言葉の意味は、しかしルークが思考を廻らすよりも先に、ヴァンが中庭に現れた事で
ルークの頭
の中からは綺麗さっぱり吹っ飛んでしまっていた。 後ろに立っていた金髪の青年が暗い炎を蒼い瞳に宿して
いたことにも気付かずに。
こんな所で俺に殺されるようじゃ駄目だぞルーク
**********
「今思えば、あれって本気の言葉だったのか・・・?」
「あぁ・・・ん、あれって、どれだよ?」
隣同士で座ったベンチで、ルークとガイは言葉を交わす。 水のせせらぐ音に和まされる街の一角に
あったベンチにゆったりと座っていて唐突に 切り出してきたのはルークだった。
のんびりとした空気の
中で問われた言葉にガイは無意識に頷いてから、ルークに問い返す。 自分が木漏れ日と、鳥の唄う声
と水の流れる音に耳を澄ませリラックスしているその隣で 何やら神妙な顔つきをしているなと思えばま
た唐突に。 ルークの主語の無い話し方は今更ではなかったが、やはり何を指しているのか付き合いの
長いガイでも彼の言わんとする事が汲み取れない。 青年の問い返しに赤毛は俯いて、屋敷にいたとき
に言ってた。 ぼそぼそと話すルークの言葉に、ガイは一時固まった後で彼特有の”困った笑い”(ルー
ク命名)をした。
「あぁ、うん。まぁ・・・本気といえば、本気だった、な」
ガイは歯切れ悪く答えた。ルークは暫し黙った後、ポツリと
「それは・・・『ルーク』に向けて言ったのか?」
一瞬、意味が解らずガイは眉根を寄せたが直ぐにルークの表情を見てピンと来た。
人差し指で頬を掻
きながら、空中に視線を彷徨わせ言葉を探す。 確かその言葉を吐いたのはルークが屋敷に来てから
まだ三年程しか経っていなかった時か。 『ルーク』―アッシュが誘拐され、入れ違いに公爵家へと来た
ルーク。 その時は、まさか『ルーク』が別人だったとは知らなかったガイは、変わらずに復讐心を
その
胸奥で燻らせていた。 記憶喪失と医師より診断された赤子同然だった小さな赤毛に、ガイは表面上で
は笑いかけ ながらも何時かその子供を己の手で殺める事を夢見て生きていた。
それは紛れも無い事
実。 ガイは考えるだけ考えたが、結局上手い言い回しも思い浮かばずに
「そうだな・・・。それは『ルーク』に向けて、だったかもな」
ストレートに嘘偽り無い本音を語れば、ルークは途端に泣きそうな顔をする。赤毛の顔を見た
ガイの心
は複雑な思いに揺れ動く。 彼は己の被験者を誰よりも想っているから。そして、自分よりも他人を想う
優しい子供だから。 だからこそ自分が生まれた事で、何もかもを奪ってしまったのだと自分を追い詰め
るように考えているルークの罪悪感が少しでも軽くなれば良いと思う。 罪悪感と言う重荷に、この赤毛
の子供が何時か押し潰されてしまいはしないかと気が気ではない。
だからせめて未だ自分が抱くこの思いの捌け口は、別の者へと向けよう。 俺がアッシュの居場所を奪
ったんだ。 何時か本人は知らずの内か、こんな事をルークは零していた。 それを訊いた時、ガイは違
うと叫びたい衝動に駆られた。 例えルークが生まれた事で彼が居場所を奪われたのだとしても、それ
は直接にはルークに 罪は無いのだから。 ルークが自ら望んで生まれたのなら話は別だ。
だが、実際はそうではない。
別の人間の思惑からルークが生み出されたのだ。 怨み、憎むべき対象はそれを目論んだ人間へ向け
るべきだろう。ルークは無罪だ。
だから、頼むから
「そんな、泣きそうな顔をするなよルーク」
俺はお前の傍を決して離れないから。 お前が生まれてきてくれて、お前と言う存在が現れた事で俺は
救われたんだから。
罪を重ねすぎて、汚れたその手によって、俺はお前に救われたんだよ。
お前が生まれずに、ずっとアッシュが『あの場所』に居続けていたのなら、俺はもしかしたら
復讐を遂
げていたかもしれない。
でもお前が『あの場所』を奪う事で、お前が俺に太陽に似た笑顔で笑いかけて
来てくれたから、俺の心
の中にも初めて日が差したんだ。
「お前が『あの場所』に居てくれて良かったんだ」
奪った場所。奪い取られた場所。光差した心。犯した罪。
そのどの出来事も、紛れも無い偽りの無い真実。
5、歩いた足跡
「・・・・・・?」
「どうした、ルーク」
唐突に動かした足をピタリと止めて立ち止まったルークに、ガイは数歩先でやはり足を止めてルークを
見た。ルークは何も無い今まで進んで来た草原を振り返って暫く見ていたが、ガイにもう一度名を呼ば
れ、何でも無いと言い返すと再び歩き出した。
***************
『・・・・・・俺は変わりたい。・・・変わらなくちゃ、いけないんだ』
セレニアの花畑でティアを目の前にして口にした言葉。 自分で考えて判断をしないで行動した事で悲
劇を招き、自分の手を汚した。
その事を悔い、変わると誓って長かった髪を決意の証に切った。
それから必死で自分で判断し、行動をしようとしてきた。今も同じ。手探りで道標を見つけ出して、歩き
続けている。
**************
「うわぁ・・・ビショビショだ」
「本当に。最悪ですわね・・・」
ルークは服を引っ張りながら顔を顰め、ナタリアも賛同しながら服の裾をパタパタと叩いている。
他の
メンバーも濡れて張り付いてくる髪や服を鬱陶しげに振り払い、水気を取ろうと裾を捻って絞っていた。
街に辿り着いた時に突然の夕立に遭い、慌てて宿に駆け込んだものの雨足は速く、扉を閉めて外界と
遮断された 屋内に駆け込んだメンバーは既にずぶ濡れの状態だった。 常に逆立ててあるガイの金髪
もへにゃりと元気を失くした花の様に垂れ下がり、ジェイドは濡れた眼鏡のレンズを
拭いてからやや長
い前髪を払い除けていた。その隣でティアが眉を顰めて長い髪を一つに束ね 「・・・くしゅ」「おや、風邪
を引かないよう、早くシャワーを浴びた方が良さそうですね」「すみません」鼻を小さく
啜りながらジェイ
ドに言われて僅かに頬を染めた。 アニスはトクナガを力一杯絞りながらティアを見て
「ティアー、お風呂先にどうぞ〜。あたしはトクナガを乾かしちゃうから」
「そう・・・?ごめんなさいね。お言葉に甘えるわ」
濡れたトクナガを振り回しているアニスに、近くに居たルークが飛び散る水滴から逃げるように身を仰け
反らせて 抗議の声を上げる。
「アニスっ、水が飛び散ってる・・・・・うわ、冷てっ!」
腕で顔を庇うルークに気がついたアニスは、あははごめーん、と笑いながら謝り割り当てられた部屋へ
ティアと ナタリアと共に行ってしまった。 ポタポタと滴る水を一瞥してジェイドが
「我々も早く部屋に行って身体を拭くかシャワーを浴びないといけませんね」
「そうだな。ルーク、行こう」
「あぁ」
髪を掻き揚げてそのまま抑えながらガイはルークに声を掛けて、ルークもそれに応じる。
先に部屋に
入っていたジェイドからタオルを渡され、礼を言って受け取り髪の毛をわしゃわしゃ拭く。
大雑把に髪の
毛の水分を取って、ルークは上着を脱いだ。それを洗面所に置いてベッドへと腰掛ける。
肩にタオルを
掛けたまま、インナー姿で居るルークにガイが洗面所から顔を出して「ちゃんと髪拭いたか?」
「拭いた
よ」髪を拭きながら訊ねてくるので、苦笑を交えつつ返した。
サァァアアアア・・・・――― 降りしきる雨の音に引き付けられる様に、ルークはどんよりとした灰白色の
空を見上げた。 強い雨は未だ止みそうな気配は無く降り続けている。 窓に手を添え、じっと見つめてい
ると窓ガラスにジェイドの姿が映し出され、ぎょっとして背後を振り返った。
一メートルも無い位置に立
って笑っている長身に、ルークは驚いた事を極力誤魔化すように何なんだと ぶっきらぼうに問いかけた。
ジェイドは明後日の方向を向いたルークに、口端を吊り上げつつ
「いえ・・・。何を真剣に窓の外を見ているのかと思いまして。それとも、この土砂降りでは外を見ても意
味が無い のを解っているのか、と言う事を訊ねようか少々悩んでいました」
雨が強くて何も見えないでしょう。ジェイドは最後に言葉を付け足して長い指で窓を指した。
嫌味交じり
のジェイドの台詞にむっとしつつも、ルークは示された方向、窓をもう一度見た。
確かにジェイドの言う
通りで、雨が叩きつけられている窓越しでは視界が悪く外の景色が殆ど見えない。
外気の所為でより
冷たくなった窓の外で降り続ける雨。 天からの恵みと農村では喜ばれる空からの贈り物。
「別に。特に意味は無い」
ルークの言葉に、ジェイドはピクリと方眉を吊り上げてそうですかと呟いた。
翌日、昨日の土砂降りが
嘘だったかのように空は青く晴れ渡っていた。 晴天の下を歩くのは、普段の状態であれば構わないは
ずだった。
しかし今は。
「・・・地面がぬかるんで、グチャグチャで歩きにくいし靴は汚れるしついでに闘いにくいよ〜!!」
アニスが悲鳴に似た叫びを上げる。少女の主張に仲間それぞれが苦笑を浮かべたり同意したり曖昧な
笑みを 浮かべたりする。 雨上がりで空が晴れているのは良かった。問題は地面だった。
上空の状態は良いが、では地面の状態はと言うと、土を固めて慣らされただけの道は馬車のタイヤで
抉られた 場所に水溜りが出来ていたり(場所によっては踝まで浸かるくらいに深いのもあった)慣らさ
れきれていない道は 地面がぬかるんで足を取られて最悪な事に敵の奇襲に遭って悪戦苦闘したり(実
際ルークが足を滑らせてガイを 巻き添えにして派手にこけた)と、散々な有様だった。
ナタリアとアニス
が泥で汚れると不平を漏らしながら歩いている後ろを付いて行っていたルークがふと空を見た。湿原を
歩いているようにグチャグチャと足音を鳴らしながら歩いていた足を止めて、ルークは後ろを振り向く。
「・・・・・・」
「・・・どうした、ルーク?」
以前と同じ様に数歩先でガイがルークに呼びかける。 ルークは一回ガイを見た後、もう一度今まで歩
いてきた道へ視線を戻した。 ガイは首を傾げてルークに歩み寄り、もう一度どうしたと訊ねかけた。
点々と歩いてきた分だけ伸びている足跡を見つめながらルークは言った。
「雨と足跡って、似てるよな」
それは、いずれ消えてしまうけれど、残るもの。