<振り向いた先にあるものは>





人気の無い廊下に一人、人がドアを前にして立っている。

目の前のドアノブに手を掛け、ドアが静かに開かれた。
灯りの消された室内に、廊下から漏れる灯りが筋のように伸びて光の道を作る。
極力音をたてないように開かれたドアの隙間から、するりと人影が滑り込む。
ぱたりと後ろ手にドアが閉められ、カギが閉められる音が響く。
人影は足音もたてずにベッドへと近付いていく。
真っ白なシーツの上に際立つ朱の髪色を持つ青年が寝息を立てていた。
同室者は居ないのか、二個ある内のもう一つのベッドは空いている。
人影は寝ている青年の傍まで行き、その赤毛を手に取る。さらりとした質感に、人影は翡翠の瞳を細めた。
片膝をベッドに乗せ、覆いかぶさるようにして未だ眠っている赤毛の唇に軽く触れる程度のキスを落とす。
覆いかぶさった際に己の長く伸ばされた髪が青年の頬に触れ、その感触がくすぐったかったのか赤毛が僅かに
身じろいだ。自分の肩から滑り落ちる髪をそのままに、人影は身体を包んでいるシーツをゆっくりと捲る。
長い髪によって隠された表情は読み取れない。
曝し出された白い首筋に人影は顔を埋めた。

「・・・っん?な、に・・・ガイ、か?」

首筋に感じる変な感触に漸く気が付いたのか、覚醒しきっていない寝ぼけ混じりの声が聞こえる。
それに構わず、人影は首筋から鎖骨の辺りへと顔の位置をずらす。
寝ていたルークは、暗がりの中で誰かが自分の上に乗っかっている事に気が付いて声を上げる。
暗くてよく見えないが、髪が長い。アッシュだろうか。

「アッシュ?・・・なぁ、ちょっと退いてくれよ。っ、気持ち悪い・・・!」

首筋から鎖骨から舌が這う感触にルークは身を捩るようにして、人影から逃れようとする。
だが更に抵抗しようとする前に、ルークの両手首はあっさりと押さえ込まれ、身動きが取れなくされてしまった。
片腕で戒められる強い力にルークは顔を歪めた。

「アッシュ、何なんだ・・・」

「―――誰がアッシュだよ」

言いかけたルークの言葉を人影が遮った。
その声に、ルークは眉を顰める。
酷く訊きなれた声音。それは何時も自分が発しているものと寸分変わりないもの。
アッシュであれば同じ声音でも、彼の方が幾分か低い。
ただ今の声は――

「人の顔をよく見てから言えよな」

くすくすと笑う相手に、ルークはいよいよ気味が悪くなってくる。
誰だこれは。アッシュじゃない。でも自分の声と凄く似ている。

目を凝らせば、相手の長く伸ばされた髪の色が紅色ではなく朱色だということが解った。

同じ声。同じ髪色。特徴が何一つ自分と同じ。

唖然として見上げてくるルークに、人影は口端を吊り上げた。

「何そんなに驚いた顔をしてんだよ。自分の顔だろ?」

ルークの顎を空いているもう片方の手で掴み、引き寄せて目を合わせる。
お互いの瞳も違わぬ翠の双眸。

「何だ・・・お前・・・」

か細く呟かれたルークの言葉に、『ルーク』は低く笑いを漏らしながら応えた。

「何って、『ルーク』だよ」

目の前に居る自分の唇が弧を描く。
『ルーク』は掴んでいたルークの顎を放して、長い髪を掻き揚げる。
ばさりと跳ね除けられた髪が重力に従い落ちるその様は、毛先の抜け落ちた色と朱の色が交じり合ってまるで炎
が燃えているように見える。未だ状況を把握できずに呆然としているルークの視線に気が付いた『ルーク』は、再
び笑い声を上げる。まるで嘲笑するかのように響くその笑い声に、ルークはカチンと来たのか相手を睨みつけた。
強い視線に『ルーク』は微かに眉を跳ねさせたが、また直ぐに口端を吊り上げてルークへと手を伸ばす。
咄嗟にルークはその手を避けようとベッドから飛び降りようとしたが、後ろ髪を掴まれベッドへと沈められてしまっ
た。両手首を再び拘束されたが、ルークはジタバタ暴れて必死に抵抗する。嫌だ離せと喚くルークに、『ルーク』
は不快気に眉根を寄せて舌打ちする。膝でルークの足を押さえつけ、身動きを取れない状態にしてから『ルーク』
はずいと自分の下に組み敷かれている髪の短い自分自身に顔を近づけた。
吐息が顔に掛かるくらいの近距離まで顔を寄せ、囁くように言う。

「大人しくしないんだったら本気で犯すぞ」

「・・・・・・っ!」

ぐっと堪えるように顔を歪ませ、抵抗を止めたルークの唇が小さく、この場に居ない彼の名を呼ぶ。
ルークの唇の動きを読み取った『ルーク』の表情が、その瞬間に消え去った。
しかし顔を伏せてしまったルークにはそれが解らない。
静かになった相手の気配に気が付かないまま、目を合わせまいとしながらルークは喉の奥から声を搾り出した。

「・・・暴れないから、離せよ」

「さぁ、どうだか。てか、『俺』が素直に訊くと思ってんのか?」

無表情だった『ルーク』は彼の言葉に嘲る様に薄く笑みを浮かべる。

「・・・」

黙り込んだルークに、更に笑みを深めながら、トンと人差し指でルークの胸を軽く付く。

「俺はお前自身だぜ?俺の事はお前がよく解ってんだろ」

「離せッ!」

あらん限りの大声で叫ぶと同時にルークは足に力を込めた。
僅かに込められていた力が緩くなっていたのか、押さえつけられていた足は振りあがって『ルーク』へと当たった。
だがルーク自身はまさか動けるとは思わなかったのか、その後の行動が続かない。
『ルーク』は痛ぇなと呟きながら腹を摩る。

「あ・・・」

漸く思考が逃げろと命令を下したのか、わたわたとベッドを降りる。
靴も履かずに廊下へと飛び出していったルークに、追いかけねぇよばぁかと言いながら『ルーク』はベッドへと倒れ
こんだ。倒れた場所はルークの温もりが残っていて、まだ温かかった。
そこに顔を埋め、『ルーク』は暗い翠の双眸を細める。

「ガイ・・・か」

ぽつりと吐き出された親友の名前。あれは無意識のうちに呼んでいたのだろうか。
どちらにしても面白くは無い。
一人きりになった室内で『ルーク』はベッドの上でパタリパタリ交互に足を振りながら、思考を廻らす。

まぁ、取り敢えずは


「ガイで遊んでやるか」


ルークの居る目の前でガイにキスするのも良いな。



暗い部屋に低い笑い声が響く。
しかし笑っているはずの当人の瞳は、全く笑っていなかった。
翡翠色に憎悪の炎を宿しながら、窓を見上げた。

「俺は俺を絶対に許さない」

吐き出された言葉は背筋が凍ってしまいそうな程冷たく、何処までも憎しみに彩られていた。


やがてルークの身体は徐々に色を失っていき、闇に溶けるようにして消えた。





















・・・ルクルク。続くかもしれません。