<Thank you to you!>





しとしとと、雨が降る。
絶え間なく、しとしとと。
その灰色の世界の中に、ポツリと一点の赤色があった。

それはよく見れば、髪の色だということがわかった。その明るい朱は毛先にかけて色が薄くなっている。
外見は10歳程度の少年で、くるりと動く翠の双眸は感情を映し出すことも無く天上を見上げていた。
そして雨水があたる度にピク、と動く白い三角の耳。

少年は亜人だった。

見捨てられた、忌み嫌われている存在だった。


「          」


小さく開いた唇から声無きこえが漏れる。まるで泣き声にも聞こえるようなそれは、すぐに雨音によって掻き消されてしまう。
少年はふと背中越しに他者の視線を感じた。上げていた顔を戻し、ゆっくりと肩越しに振り返る。



そこには、もうひとつの赤色があった。





*     *     *





「そもそも出逢いが微妙だったよなあ俺たちって」

「誰の所為だ」

「アッシュ」

「・・・お前だろう」

テーブルを挟んだ向かいに座ったルークが唐突に話題を切り出し、それに言葉を返したアッシュへルークが即答した。置いてあった湯気立つマグカップを両手で包み込むようにして持ち上げたルークはそれを傾ける。のんびりとホットココアを飲んでいる同居人にアッシュは眉間のしわを少しだけ増やした。

「あの雨の中で拾ってやっただけでも感謝しろ」

「んー、感謝はしてるぜ。一応」

「今すぐ出て行くか?」

「やぁだね」

ちゃんと感謝してるって、ルークはそういってケラケラ楽しそうに笑う。笑う振動に伴って彼の長い朱髪がさらりと肩口から零れる。柔らかそうな髪質のルークの頭には白い三角耳がひょっこりたっていた。普段は気だるそうにペタリと伏せられているのに、アッシュと会話をするときだけは、一言も聞き逃さないようにという心の現われなのだろうか、その時だけは耳がピンとたっているのだ。暫く生活を共にしていくうちにアッシュがその事に気が付いたのは、ほんの偶然だった。

いつの事だったか、何にも興味を示さず、ベッドの上でぐでんと伸びているルークがいた。外界の音を遮断するかのように、耳はペタリと伏せられている。アッシュは部屋へ戻ってきて、だらだらしているルークへ苛立ちも顕わに思い切り怒鳴りつけたのだ。ルークはヒトよりも瞳孔が縦に切れ長い翡翠の双眸でアッシュを捉えて、不服そうに頬を膨らませた。しかしその態度に反してルークの耳は先程までとは違い、たっていた。偶然だろうか、そう考えたアッシュは二言三言ルークへ小言をいい、そのままベッドへ腰を下ろして本を読み出した。集中して本を読み始めてから数分、ふと何気なくルークのほうへ視線をやると、ルークの耳はまたペタッと髪の毛にくっ付いていた。

「・・・・・・ルーク」

何となく、なんとなく名を呼んでみると、ピクリとルークの三角耳が立ち上がった。次いで半眼のルークが振り返る。

「・・・なんだよ」

「いや・・・」

「用が無いなら呼ぶなっ」

牙を剥くルークにアッシュは小さく謝る。ルークは鼻を鳴らすと元の体勢に戻って枕に顔を埋めた。そこでアッシュは軽く目を見開いた。ルークの耳が会話が終わると同時に伏せられたのだ。僅かな好奇心が首を擡げ、アッシュは何度かその耳の動きを確かめてみた。確かめた結果、ルークの耳はやはり会話をするときにはちゃんとたっていた。
それがわかって以来、アッシュはルークと話をする時はアッシュなりの彼に対しての姿勢としてルークの目を見るようにしている。そもそもルークはひとと話す際には相手の目をちゃんと見るし、会話もしっかり聞いているのだ。うぜえ、だりぃ、つまんねぇーの口癖をひっきりなしに繰り返すルークにしてはその辺りはしっかりしているものだとアッシュは思う。

今はしっかりと自分を正面から見据えてくる翡翠の双眸は透明な色している。

あの日。ルークと出逢った、あの日の眼とは同じものとは思えないほどに。
屋敷へ戻る帰り道に佇んでいた、雨を浴びて頭から全身が濡れそぼった姿で空虚な視線を向けてきた亜人の少年。

それが今、目の前にいるルークだった。





*     *     *





もともと、ヒトと亜人との交流はあまり盛んではなかった。大陸を中心で両断し、互いにたがいの土地を持って暮らしていた。稀に情が移りそのまま同棲を始める者も少しはいたが、それはほんの一握りに過ぎなかった。
大きな干渉をすることなく続いていた関係だったが、それは唐突に壊された。
ひとりの亜人のこどもが、無残な殺され方をしてヒトの領土で発見されたのだ。亜人たちは激しくヒトを非難し犯人の捜索を要求してきた。しかしヒトはそれを受け入れず、事もあろうに「たかが子供の一人や二人が死んだくらいで騒ぐな」と返答を返したのだ。あまりの返答に、殺されたこどもの亜人の親が報復の為にヒトの領土へ赴き、そこでヒトを殺した。
そこから争いの火種が大きくなっていき、いつしかヒトと亜人との間には一切の交流も持たれ無くなった。

交流が絶たれて幾年の長い歳月が過ぎた。
かつての歴史は書物として記録が残されることも無く廃れ、消えつつあった。
人々は何故、ニ種族の間に溝が出来たのか真実を知らぬまま、歪み捻じ曲がった言い伝えを信じ、ヒトと亜人の間に出来た子供は卑しく、差別される存在として忌み嫌われる存在と認識されるようになっていた。



ルークは、その忌み嫌われる存在であるヒトと亜人の間に出来たこどもだった。





*     *     *





「んだよ、ヒトのことジロジロ見てんじゃねーよ」

「・・・・・・」

虚ろだった視線がアッシュへ焦点が合わせられると、濡れて顔に張り付く前髪を掻き揚げながら、少年はアッシュを睨んで開口一番にそう言い放った。アッシュは相手のあまりの言い草に眉間のしわを増やす。

「別にお前を見ているわけじゃねぇ」

「あぁ、そ」

少年は口端を持ち上げてアッシュを見る。その相手を小馬鹿にした態度にアッシュの低い沸点が爆発寸前までに上昇した。ぐっと拳を握り締めて言い返そうと口を開ける。だが、突然少年がふっと目を逸らした。そのまま逸らされた視線は曇天を見上げる。彼に降り注ぐ雨が、まるで頬を伝う涙のように流れ落ちていく。

泣いているのか。

アッシュは怒気も忘れて少年をまじまじと見つめた。
相手の柔らかな焔色の長い髪は雨を吸って僅かにくすみがかっていた。それでも、本来の朱色はモノートンの景色の中ではとても映えて、それがアッシュの目にはうつくしく見えた。
自分と似て、非なる赤色。
綺麗だと思った。

「家は、あるのか」

アッシュはたったそれだけの言葉を口にした。特に感情も込めることも無く。少年は再びアッシュへ視線を戻した。その瞳は、暗い色をしていた。

「なんでそんなこと訊くんだよ」

「あるのか?」

「・・・・・・家なんて、ねぇよ」

少年が口元を歪めた。低い笑いを響かせ、唐突に叫ぶ。まるで慟哭のような叫びだった。

「俺が、俺が何をしたっていうんだよっ!ヒトと亜人の間に生まれた子供だってだけで!なんで俺が周囲の人間から遠巻きにされなきゃなんねーんだ?!俺は・・・、悪くないってのに・・・!!!」

ヒトと亜人の子供。

それでアッシュは何となく全てを察した。だから、少年へ歩み寄りずいと手を突き出した。
少年は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに警戒するようにアッシュから一歩後ずさる。

「何のマネだよ」

「家が無いなら、俺のところへ来れば良い」

「・・・・・・はぁ?」

お前馬鹿じゃねぇの、と少年はそんなニュアンスを込めた声を上げる。自分でも、いきなり何をいってるんだと胸中で突っ込んだし恥ずかしかったのだが、この少年を独りにしたくないと思ったのだ。
虚勢を張って強がっている少年を放って置けない気がした。
それに・・・、同じ赤い髪に翠色の瞳に親近感を抱いたのもある。出会い頭から喧嘩に発展しそうなやり取りしか出来ていないが、多分、時が過ぎていくうちにそれも緩和されるだろう。
そう信じている。

「俺は真剣に言っている。家が無いなら、俺のところへ」

「お前は・・・・・・、俺が、気味悪くないのかよ」

アッシュがもう一度同じ事を繰り返すと、少年は泣きそうな顔をして小さく問うてきた。

忌み嫌われる存在。

それが彼の心に暗い影を落としている。

アッシュは首を横に振った。

「お前の一体どこが気味悪いんだか、逆に訊いてみたいな」

アッシュの微かな笑みと、その言葉に、少年はくしゃりと表情を崩したのだった。














過去を振り返っていたアッシュの鼓膜へルークの声が響いてくる。
意識を現実へ引っ張り戻したアッシュが見たのは、ルークの無邪気な笑顔だった。
心が温まるような、周りを和ませてしまう、そんな柔らかさを湛えた笑顔。
そしてルークの唇から、滅多に聞くことの出来ない言葉が紡がれた。

「アッシュ、俺、アッシュに拾われて良かった。だからさ―――」





心からの "ありがとう" を貴方へ


















耳萌え企画さまへ投稿させて頂いたものを再掲載です。
そのうち続きを書く予定…。

2008.02.21